ミッフィーちゃんのバッグと傲慢

スーパーで買える食パンのなかではフジパン本仕込が1番好きで、一人暮らしを初めてからはずっと食べている。なんとなくおいしい気がする。あと不意にフジパン本仕込み~♪っていうフレーズが頭のなかを流れるのもいいなって。広告の制作、大成功です。広告ってすごい。
 
実家に帰るとミッフィーちゃんのバッグがしれっと置いてあった。
父が集めたらしい。わたしが以前欲しいと言ったからだと母は言う。
 
ミッフィーちゃんのバッグが欲しくて、15枚も集めなければいけなくて食パンを鬼のように消費しなければいけないので欲しいけれど1人では無理かな……みたいな話をそういえば帰省のときにした。ような気もする。たぶんした。
 
わたしは何もかもをすっかり忘れていて、大学生活にジタジタとしていて、そのあいだに父はわざわざ普段買わない「ふじぱん本仕込み」を買い続け黙々とミッフィーちゃんへのポイントを貯めていたのかと思うと、不意に涙が出て困った。なんでそんなことしてくれるの。普段そういうパン買わないでしょ。貯めてることもわたしに連絡してこなかったでしょ。父と母は二人暮らしなのにどうやってそんなにたくさん食べたの。
 
1年半くらい前から、わたしは、自分の意思を反映させた行動をしてくれる人がいることが全然信じられなくて、不意にそういうものに触れるとビックリして泣いてしまう。そしてそれをしてくれるのは両親や友人が多いです。それってこの世のほぼ全てじゃん、と思う。1人そうしてくれなかった人がいるだけで、こんなにぐちゃぐちゃになるなんて、あまりにも傲慢だ。わたしは傲慢。
 
今日は嫌かもしれないと言ったら、痛いって伝えたら、その気持ちを汲んでくれる、加えて無理しなくていいとまで(!)言ってくれる、こういうときのわたしは、かなりビックリしてしまう。
わたしが好きな人はわたしのこと意志がないと確信しているかのように振る舞うのに、なんでわたしのことを好きでもないこの人はこうしてくれるの?全然わからないよって混乱してただ泣くだけの人になってしまって、自分でもやばいなと思う。毎回絶望させてくる人と一緒にいるあいだにこんな感じになっちゃった。丁寧にしないで良いからわたしの意思なんて聞かなくて良いからちゃんと再起できないようにしてほしい。好きな人がわたしに触れたときよりもっとひどくしてほしい。優しくされると対比してしまう。自分の好きなようにして良いから、その代わり、わたしのことちゃんと毎回絶望させてよ。そうじゃないとなんにもならないよ。
 
去年の春頃はわたしの言葉ってなんの意味もないのだなあと思っていたしそのことを都度実感していて、伝えてもなにも意味がなくて本当に聞こえてないのかとも思ったし、もはや言語が共通なのかも自信が持てなかった。人生のなかで、本当に嫌なのお願いさわらないでお願いって、好きな人に言うことあるんだ。こういう出来事が1回でもあるだけでこれまでのものが崩れてしまう。まあ何度もあったので全て崩れました。
 
全てのことに善意やまっとうなことになんで?と思うような娘になってしまった。
ただ、お父さんお母さんごめんなさいと思う。
秋のミッフィーちゃんキャンペーンは一人で集めよう。